子供に制限をかけるのは、いつも大人である。

 

最近、自分がやりたいことを息子に押し付けてる父親はそう僕だ。

 

さて、「子供に制限をかけるのは、いつも大人である。」

ふとそう思った。

最近、もうすぐ四歳になる息子は、ピアノ教室に通っている。個人レッスンをしてくれる街のピアノ教室って感じのところ。色々習い事は試してみたところ、集団での習い事にはなじめず、個人レッスン?の形式がいいということで、ピアノに行かせてみたところ、初めて「また行きたい」と言ったので、通わせることにした。

超スーパーウルトラハイパーメディアクリエイター的に内弁慶なうちの息子も、先生に少しずつなれていき、通わせ始めて数か月の今は、たくさん笑うようになり、先生との会話するようになった。

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ある日、宿題(本人には宿題とかお勉強、という表現をせず、ゲーム、お絵かき、塗り絵等と表現している)をやっていると、「ここもやりたーい」と言い出した。ふと、「いや、そこは先生が言ってないからやらなくていいよ」と言い出しそうになったのだ。でも、のどまで出かけて止めた。だって、本人がやりたいのに止める理由はない。ただ、先生の指示にだけ従ってやる必要もないし、何よりやりたいときにやり進めることが大事。それを日常にしないと、本人は何に対してもやれと言われたことしかやらないし、それ以上をやろうとしない。そんなことが植え付けられる気がした。

 

それに先生が言うことなんて聞くことない。あっ、先生を無視していいとか敬わなくていいとかじゃなくて、日本は過度に「先生が正しいし偉い」という意識が強すぎる気がする。前にも以下のブログで書いたけど、「だれが言うか」がとても重要視される傾向にあるカルチャーが日本にはある気がする。ぼくも一瞬それに引っ張られて、先生が言ったことに従うよう息子に言いそうになった。

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あとは、うちの親(息子のおじいちゃんとおばあちゃん)を見てもそうだ。

もちろん大前提に可愛い、愛おしい、というのが孫に対する思いとしてあるんやけど、基本息子を過小評価している。細かい話、袋を破ってあけるのもそう。少し待てばできるのに、すぐに代わりにやろうとする。いや、可愛いのはわかるし、それが悪いとは思わない。うん、だって、超可愛いと思うもん、自分の息子の子供って。俺も絶対そうなる自信ある。

でも、やっぱり、本人たちが思う勝手な「三歳児」像があって、その「三歳児」ができることが、実際よりも相当低い。まぁ、ただ可愛くて仕方がなくて、いつも一緒にいないから全然良いししょうがないことけど、やっぱり子供に対する期待値は、大人の思いこみがものすごく制限をかけてる気がするのよね。

 

大人になっていろいろ思い返すと、特に母親は「失敗させたくない」という思いがとても強かったんだと思う。分かりやすい例だと受験勉強。いわゆる一流校にチャレンジさせて失敗させたくないから、確実に行けそうなところを志望校として選んで塾に話したり、中高大一貫校に息子を入学させることで、そこそこの学歴を担保できるようにしたり、ある意味制限をかけてた気がする。誤解がないように言うと、そこを恨んでいるわけでもなんでもないし、いろんな選択肢を持たせてもらえたことに感謝もしてる。ただ、やっぱりここでの「失敗」は受験に落ちることであって、長い目で見たときに、「この失敗を糧にどう這い上がるか」みたいな経験値、リカバリーできる体験と考えれば、全くもって失敗にはならないかもしれない。

 

こういうのを色々踏まえて考えてみると、やっぱり「子供に制限をかけるのは、いつも大人である。」と感じる。

「できるできない」みたいなことはいったん横に置いて、「やりたい」という気持ちをまっすぐに尊重し続けられるよう、親も成長せなあかんなと思うわけである。

最後に。

ほんでもって、ある意味これって、自分との向き合い方も一緒な気がする。「いや、俺なんて」「そんなの無理だよ」自分自身にこういう言葉をかけてしまってる人も多い気がする。もちろん、僕自身も含めて。そして、これって、自分が子供の時は、自分にこういう言葉をかけてこなかったはず。だけど、いつの間にか自分を守るためか何なのか、日常的にこれが心に聞こえるようになってしまってるじゃないかな。

やっぱり子供はいろいろ気づきをくれる。

そして、学ぼうと思えば、いくらでも子供から学べるものだ。なんか「人」としての本質が知れる気がするのよね。

さあて、2408文字も書いたので寝るw

 

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