昨日、前編を書いたので、その後編。
本当は一つのブログにしようと思ったけど、冒頭だけで長くなりそうだとに途中で気づき、急遽二つに分けたのはここだけの話w。
5年目:転職するか迷いに迷った
さて、昨日の続きで五年目はどうだったか。
いま振り返ってみても、明らかに成長が鈍化してきたときかなーと思う。「こなせる」とか「回せる」ようになってきた感じ。ある程度のベースが出来て、それがあればお客さんも社内もうまく進められるような状況で、自分自身が成長しなくてもとりあえず業務が回るようになっていた。とっても良くない状況。
だから、これ俺じゃないといけないのかなとか、誰でもできる仕事やんとか、またこの話か、とか思うようになってきた時期だった。この辺は外資系ならではで、日系企業と違って辞令とかがほぼないので、良くも悪くも人の入れ替えがそこまで起こらない。だから、同じとこにいようと思えば、高い確率で居られるわけだ。それで同じところに3年もいたので、そこに慣れてしまった自分がいることに気づいた。その場で自分ができることを探してやるべきという意見もあると思いますが、それよりも自ら環境を変える方が自分にとって得策だと考え、動き出した。いわゆる転職活動だ。
同業他社の話しも聞いたし、同じ会社で違うチームへの異動も考えた。
大手のコンサルティングファームも結構真剣に考えた。コンサルとか実は結構真剣に考えた。コンサルへの転職専門のエージェントとかも何社かあたり、試験とケース面接があるので、そのトレーニングもした。
結構大手のファーム何社かと4次面接くらいまでやった (4次もあるんかいという感じですが笑) んやけど、最終的には内定をもらえなかった。本当に行きたければ、もっと踏ん張って他の会社にも受け続けたやろうけど、そこまでの思いがないということは、別に心から行きたいと思ってなかったんだと気づき、結局コンサルへの転職活動はストップした。
一方で同業他社への転職だが、ぶっちゃけ一瞬揺れたことがある。給料が普通に3割り増しくらいになる可能性があったし、裁量も増えるからだ。でも、多分、やることは対して変わらないにも関わらず、一から社内の各部署と信頼関係を築いていくのは、面倒だなと思ったので、その選択肢も捨てた。
とこんな考えを巡らした挙句、結局社内で別の部署への異動を上司に希望した。
一方で、ベンチャー・スタートアップ界隈にも興味を抱き、wantedlyとかを本格的に見始めたのはこの辺りからだったと記憶してる。
6年目〜7年目:異動するも「悶々」は解消されず…
そんなこんなで、6年目には同じ会社の別の事業部に異動した。同じ法人営業だったが、担当する顧客が大手日系企業だった。5年目まで在籍した法人営業のチームは、外資系担当チーム。つまり、海外に本社がある、日本支社を担当していた。例えば、韓国のLG・サムソンや中国のハイアール、米国のアパレル大手の日本支社などだ。
さて、その大手日系企業では、主に3社を担当。うち2社は総合商社だった。日本にある本社の窓口・担当となり、世界各国の取引拡大を担う。なかなかエキサイティングな部署で、特に総合商社のうち一社はとても良くしてもらった。まぁ、営業力と言うよりフットサルと飲み会をしたからだが笑。
なかなか面白い経験ができたんだが、それでもなんかエキサイティングには慣れなかった。それは、やっぱり、銀行というのは、ガチガチの管理された組織で運営されているからである。それは、人様からお金を預かる、それを元手に信用創造する、世界中のお金を流通させる決済機能を提供する、といった社会的な便益を提供する立場にあるからしょうがないことなのだなのだが、それが社内のプロセスや商品・サービスの設計などに、例外を許さない堅苦しさとなって僕には感じられたからだ。(ちょっと大げさな表現やけど)
7年目〜9年目:ついにスタートアップに転職
そんな感じで過ごしつつも、常に機会があれば、wantedly経由でいろんな企業と情報交換し話を聞いていたわけだが、一つの会社に出会った。それは、店舗向けのマーケティングツールを販売するSaaS系の会社だ(SaaSについては、こちらを参照。例えば、超有名どころでいくと、Salesforce、freee、slack、Google Appsとか)。
実は海外に本社のあるスタートアップなのだが、日本支社を立ち上げたばかりで、その法人営業担当者を募集しているとのこと。早速カントリーマネジャーに会ってみて、すぐにオファーをいただいた。でも、インセンティブ付きだけど、基本給はリアルに半額。相当迷ったけど、妻と相談の上、すぐに転職すると決めた。
なぜ給料が半額になるような転職を選んだかについては、こちらのブログをみて欲しい。
転職した時はちょうど子供が生まれたタイミングで驚いた友人や先輩もいたが、だからこそ今しかないと思った。だって、オムツとミルクさえ変えればまだまだ育つから。私立の学校に行かせていたわけでもないから、しがらみはない今しかないと僕にはチャンスにも思えたのだ。
転職してみると、やっぱり楽しかった。本当に何もない中で、どう価値を世の中に広めていくか、というのをまさに経験していた。お金もなかったから、使える経費や広告も限られているので、自分の営業活動が生死を分けるくらいところで働いていたのは刺激的だった。実際に給料の支払いが遅れたりもしたし、まぁ、そんなところにきたからしょうがないか、と割り切れる自分もいた。
何より、一番強く感じたのは、「お客さんに会える」ことがいかに素晴らしいことか。前職の銀行では、ほぼ100%会いたい会社には会えた。会社の看板を背負えてるし、銀行なので企業も無下にはしないため、会いたいといえば会えた。でも、こんな小さなスタートアップにいくと、まず会えない。どこぞの誰ですか、何の商品ですかそれは、って感じ。門前払い。アポ率90%だった銀行時代と比べると、アポ率5%(電話)くらいに落ちた笑。電話が効率的かわからないけど、その時は色々鑑みて、一つの重要なアプローチツールだと思って取り組んでいて、しっかり、データをとっていたので、よく覚えている。電話営業でのアポ率5%は、なかなか悪くないなとも自負していたけど笑、その時、お客さんに会えるってどれだけ素晴らしいことで、ビジネスとしてはどれだけ素晴らしいだったんだ!と強く実感した。
こういう経験を通じて、だいぶと筋肉質になったと思う。草原でハンティングせざるをえないみたいな環境に入ったので、これまで使ってこなかった筋肉や道具を使った感じ。それにまだまだ発展途上ではあったけど、超大手との事業提携の話なども出てきて、グループのCEOを一緒に取り組んだりできたのも、良い経験になったと思う。
10年目:TripBizに参画
そんなこんなでスタートアップでの仕事もある程度うまくいってたわけだが、ついにTripBizに出会う。かなり端折って書くと、この数年前にオンデーズグループCEOの田中とは数年前に知り合う機会があり、Facebookでも繋がっていたりしたことがきっかけで、久しぶりに声をかけてもらったことがきっかけだ。TripBizという事業の魅力、社会に対するインパクト、世の中の課題を解決するという社会的なミッションを聞き、一緒にやってみたいと思った。事業にもちろん魅力を感じたが、やっぱり田中が持つカリスマ性、経営者としての圧倒的な経験とセンスにも強く魅了されたのは間違いない。
まさに、何をやるかも大事だっただが、それ以上に誰とやるかで参画することに決めたのがこのTripBizだった。
参画してからのことについては、ここでは細かく書かないが、こう振り返ってみると、僕の仕事人生は恵まれてきたなぁと感じる。まだまだこれといって結果を出せてないが、僕が生み出せる価値、僕しかできないもの、これらを強く意識して、後悔のないように生きていきたいなぁと思う。
そして、自分がやりたいと思うこともしっかりと突き詰めていきたいけど、目の前に現れた業務やミッションも素晴らしい「ご縁」と捉え、しっかりと食らいついていきたい。それをやり遂げることで、次の道が開けたりするから。
就職して丸10年。振返ると、初めの4年は目前の仕事に必死。5年目〜は成長曲線を意識しながら。ダメだと思い8年目にどベンチャーに転職、給料半減でも自己成長率二倍に。10年目、TripBizに出会い現職。今思うと、自分がやりたい事を考えるのも大切だが、目前に現れた使命に食らいつけるかも大事。
— 📪安田則之 (@norrya) May 20, 2018
改めて、前編のブログはこちら▼
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